 戦乱の時代はいざしらず、平和が訪れ人々が豊かに富み栄える時代に入ると、かならずといって良いほど、日本では脚気が流行し、治療法もないまま、たくさんの人々の命が失われていきました。
江戸中期、世が冨栄えた元禄になると江戸、大阪など大都市の町衆の間でも白米が当たり前に食べられるようになりましたが、人口の約7割を占める地方の人たちは、雑穀の入ったごはんを常食していました。
そのため、江戸や大阪に上京するとかかってしまう病として、脚気は「江戸わずらい」「大阪腫れ」と称されていたほどです。
明治期、「脚気」の猛威はすさまじく、当時、日本でもっとも贅沢な食糧事情を誇った日本陸軍では、日清・日露戦争で、戦死者の実に数倍もの人員を「脚気」による病死で失っています。もし、兵隊さんたちに、にんにくの一片か、玄米か雑穀のご飯が支給されていたら、多くの犠牲は免れていた事でしょう。
当時は世界でも「脚気」を発病するのは日本人だけで、長く日本独特の風土病、伝染病の一種だと思われていました。世界のどこを見渡してもそのような病気が見当たらなかったためです。唯一、イギリス海軍の船員にだけ、一時期「脚気」が流行ったことが有りました。
イギリス海軍の兵士が脚気になっていたのも、実は精白した小麦を使ったパンが食事として支給されていたためで、精白されていない籾殻をふくむ「黒味を帯びたパン」が支給された後、脚気に倒れる兵士は皆無になったといいます。
脚気の原因が食事にあるということが突き止められたのは、戦後まもなく、日本人、時の京都大学教授によってビタミンB1が発見されたときでした。
ですが、日常的に白米を食べていけたのは、日本人のうちのほんの一握り、多くの日本人の食卓には、あたりまえに雑穀入りのご飯がのぼっていました。
たとえば農村のお百姓さんたちは、むかしから精米していない玄米や雑穀をまぜたご飯が、非常に体によいことを経験的に知っていました。
今と違い、昔のお百姓さんたちの日常は過酷で、まずしく、粗食にたえながら想像を絶する重労働に従事しなくてはなりませんでした。そんな毎日を支えたのは、他ならぬ雑穀米だったのです。
そして、雑穀米が日常的に食べられていた戦前までの期間、欧米化した食生活が入り込む前の日本人のガン罹患率は、現在とは比較にならないほど低かったといいます。
飽食の時代といわれる現代・日本。
摂取カロリー、タンパク質、脂質の量だけは、むかしの平均的な日本人の数倍の量を、安く手軽に摂ることができるようになりました。
が、ビタミン、ミネラルや、食物繊維、そして、もっとも大切な「生命力」を宿した食材が日常的に食べられているかというと、とても理想からはかけ離れてしまっているのが、現代日本の平均的なわたくしたちの食生活の現状です。
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